SNSは、オーウェルの『1984年』に出てくる「2分間の憎悪(Two Minutes Hate)」の現代版。
俺らは今、全員がデジタル監獄の中で感情を操られながら生きてるんだ。
テーマは「SNSと2分間憎悪の共通点。俺らが気づかぬうちに洗脳されてる件」
ジョージ・オーウェルって預言者か何かか?
正直ゾッとする。
第1章:「2分間の憎悪」とは何だったのか?
まずは前提からいこう。
『1984年』の中で、支配者である「党」は、
毎日強制的に“2分間の映像”を国民に見せる。
その映像では、“敵”とされる人物(ゴールドスタイン)が登場し、
思想犯罪を批判しながら党を否定してくる。
すると視聴者は感情を煽られ、
叫び、罵り、椅子を投げ、画面に物を叩きつける。
たった2分で国民の怒りと恐怖を最大化させ、
憎しみの対象をコントロールするのが目的。
第2章:じゃあ、現代のSNSはどうだ?
バズってるのは「誰かを叩く投稿」
炎上で燃やされてるのは“敵認定された個人”
不正義、差別発言、不適切動画、顔出し晒し
感情を煽る投稿ばかりが拡散されていく
毎日誰かが吊るされ、
フォロワーがそれを叩き、リプ欄で石を投げる。
どうだ?
これ、完全に“2分間の憎悪”のアプリ化だろ?
しかもこっちは2分どころじゃない。
24時間365日、スマホ片手に“憎悪”を消費してる。
第3章:「憎しみ」は支配者にとって都合がいい
『1984年』では、「2分間の憎悪」の目的はただ一つ。
感情を分散させないため
敵意を“党以外の敵”に向けさせるため
思考させず、感情で支配するため
つまり、
怒りで脳を満たせば、考える力を奪えるって話だ。
──そして現代でもそれは同じ。
不倫した芸能人
電車内で暴れたやつ
マナーの悪いユーチューバー
な?
「怒らせるコンテンツ」に思考エネルギーが吸い取られてるって気づけよ。
第4章:気づかぬうちに洗脳される構造
怖いのはここから。
「正義感」って気持ちいいんだよ。
「こいつ最低だな」って言いたい
「私たちは正しい」って安心したい
「仲間がいる」って思いたい
でもそれって、全部“敵”を必要とする構造なんだよな。
しかもSNSは、憎しみを強く表現するやつほど伸びる。
つまり、人間の本能にアルゴリズムが最適化されてるんだ。
これが支配じゃなくて何なんだよ?
第5章:じゃあ、どうするか?
まず、「怒り」を外部から植えつけられてないか疑え。
その怒りは、本当にお前の感情か?
それとも、誰かに“怒らされてる”だけか?
そして、必要ならこう言え:
「俺は、その怒りに乗らない」
「怒りより、冷静に考えることを選ぶ」
「感情でなく、構造で見る」
これだけで、他の99%の“奴隷”たちと差がつく。
まとめ
ジョージ・オーウェルは言った。
「ビッグ・ブラザーはあなたを見ている」と。
でも今は違う。
「お前らが、お前らを監視している」
「お前らが、お前らを吊るしている」
もはや、支配者なんていらない。
お前の“怒りの感情”ひとつで、誰かが潰される世界だ。
来るべきweb3の世界での俺の懸念事項がそれだ。
せっかく中央集権(ビッグ・ブラザーの監視下)じゃなくなる予定なのに、
非中央集権(分散型)になってからはお前らがお前らを相互に監視し始めるのではないか、と。
昔のような権力者に監視されている方がマシだと思うようになるのかもしれないな。
せっかくの自由を持て余す未来も十分あり得る。
そこら中に秘密警察がいるようなもんだ。
俺らがやるべきは、
その“2分間の憎悪”から降りること。
怒りに酔うな。
SNSに操られるな。
冷静に考えろ。
それが、“本物の自由”の第一歩だ。
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